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しごとのこと

相変わらずぱたぱたしています。先日ちょっと涼しいところへ先天性疾患を持つ子どもたちとキャンプに行ったらバッチリ風邪をもらって帰ってきて、熱に倒れたのは一晩だけでしたが「息が吸えない!呼吸が苦しい!」と治りかけの状態に翻弄されております。普段呼吸が深めなだけにものすっごいしんどいんですよね(^^;)

久々の更新ですが、個人的にこれは絶対に覚えておきたい!と思ったことがあったので追記に書き残しておきます。覚え書きなので、この記事はどうぞ読み飛ばしてやってください♪仕事に向かう姿勢のお話になったと思います。
さて。今目指している言語聴覚士という仕事は、コミュニケーションをとることや食べ物を食べるという行為に何らかの障害を持つ方に対してリハビリを行う仕事です。対象の方の年齢や状況、後天的に障害を持つことになった方の場合は発症後の経過時間によっても必要になる支援は様々ですが、リハビリに必要な柱の1つに「検査」があります。スクリーニング検査のような数分で終わるような簡単なものもありますが、発達や言語の状況を知るための検査には1時間以上の時間が必要な長いものもあります。そして検査が必要な方々の多くは、「できない、できなくなってしまった自分」にショックを受けたり、不安を抱えたりしていらっしゃいます。そんな状況にあって、検査をして評価をし、必要な支援を考えて実施することが仕事です。

発達障害のある子どもに具体的な支援ができるようになりたい、でも一番は今すぐ会社を辞めたい!!という勢い任せで飛び込んだ世界でしたが、気がついたら入学してから1年と3ヶ月が過ぎていました。専門学校に入学後、基礎医学や心理学の講義から始まり、大学生の時には考えられなかった量のレポートを書き、演習をこなし、吐きそうになりながら試験を乗り越えて、お盆が明けたら4ヶ月弱の実習に向かうことになります。
そんな日々の中で「しゃべり方が鼻にかかって聞き取りづらいところがある」とか「いつも笑っているからこそ、相手は今あなたが何を考えているのかわからない」「緊張すると言葉が多くなる」「何かを伝える時に、結果に到る経緯を全て語ろうとするか、結果しか語らないかどちらかしかない(しかも要約がヘタ)」等々の指摘を先生からしていただきました。実は仕事をしていた頃から後者2つの指摘については上司から言われたこともあり、どうにかしたいなと足掻いてはいたのですが、結局解決できないままこの年齢に到ってしまっていたのでした。
そして今年の春、担任の先生から「検査を取っている様子をビデオに撮って、その様子を見ながらディスカッションをしてみないか」という提案をいただいたのです。正直提案を頂いた時にはその提案をしてくださった意図が読めず、しかも自分のやったことを振り返らせられることは拷問でしかなく、「ありがたいです!是非!」とは答えたものの、ずっと嫌だなー…と思っていました。

まあ、その日が本日とうとう来てしまったわけですが。

結果として、まあビデオを観るのはほんっとーーーーーーーーーーうに苦痛だったわけですが、おかげで目から鱗が落ちる気づきが得られたのです。相手に合わせるんじゃなくて、自分がその場面をうまく乗り切ることしか考えていなかったんだなって…。
お恥ずかしながら少なくとも中学生くらいまでは、全てのことには正しい答えがあって、それをやっていたらうまくいくと思ってたんですよね。学校社会には「こうあるべき」像がはっきりとあり、求められるのは「正解」で、努力すれば誰でもそれに応えることができると考えていて、ある意味学校に適応しすぎている子どもだったのだなーと今では思います。幸い勉強は苦手ではなく、相手の意図を読もうとするところもあったので、「どう考えるか」と聞かれても「模範解答」を探していました。だから自分の言葉で自分の気持ちを表しましょう的なことはものすごく苦手だったのです。やっと「世界はそんなふうにはできていない、正解がないことの方がたくさんある」と思えたのは大学生の頃だったでしょうか。
でも「こうあるべき」ように振る舞うという行動原理はずっと私の中にあったのでしょう。「指示文の言い回しを変えてはいけない」「ヒントを与えてはいけないし、正解しているかどうかフィードバックをしてもいけない」というその検査の制約、整えられて決められた流れ、ゆっくり話すこと、相手の反応を反応時間も含めて記録すること、相手を観察すること…等々の要素が全てプレッシャーとなり、しかも一度にいろんなことを考えることを苦手とする思考特性も相まって、反応が得られたら「ハイ次!」と自分のペースで検査を進めてしまっている自分に気付きました。目的や時間的制約のないおしゃべりなら、会話を楽しんで、無理なく相手に反応を返すことができます(できていると思っています…)。でもそれが検査の場面になると、次はこれをこうして…という方に意識が行ってしまい、相手に合わせた反応ができなくなっていたのです。ただでさえ「聞いて答えてもらう」という一方的なやりとり、しかもコミュニケーションに不安のある方が相手なのですから、検査を受ける方は「受けさせられている」という気持ちになるだろうな…と。 
ディスカッションを終えて、先生からは「確かに言ってはいけないことは多いけれど、同じ「はい」と返すのでも間合いの取り方や抑揚によって発言を促したり勇気づけたりあなたの話を聞いていますよと伝えたりすることができる」という趣旨のお話をいただきました。例えば相手が不安そうに答えたなら、反応を書き留めた後「次に行ってよろしいですか?」というニュアンスで返してみたら追加の答えが返ってくるかもしれません。相手が言い切るまでちゃんと待って、顔を見ながら「はい」と返すことができれば、話をちゃんと聞いていもらえているという実感をもってもらえるかもしれません。もちろん人によって性格も考え方もその時の意識状態も様々なので、コツはあってもそれが全てに当てはまるわけではありません。ただ、共通していることは「相手を見て、反応を受け容れて、それに合わせて反応すること」であり、「相手の力をできるだけ引き出すように関わること」なのです。私はそのベースをおろそかにして、コツを実践することに意識がいっていたんだな~と改めて実感しました。症状や反応を見ようとして人を見ず、といったところでしょうか。それはセラピストにはあるまじき態度です。

実習前にそれに気づけて良かった!!と思って帰ってきたわけですが、それをブログに書いて置いておこうと思ったのにはもう一つきっかけがありました。先日楽天スーパーセールで注文していた坂本真綾さんのエッセイ「アイディ。 (星海社文庫)」が本日届き、うっかり読んでしまったのです。「自分を知るために歌を歌う」「あんなことやそんなことでめちゃくちゃ悩んで、こう考えた」という彼女の考え方に触れて、「私は自分がどうすれば良いか、そればっかりだな」ということが言葉になってコロンと出てきたんですよね。珍しく一生懸命考えたので、言葉にして残しておこうと思えたのでした。
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教育系の仕事を経て現在ことばのリハビリ職。本と音楽を愛しています。
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